特定非営利活動法人 ITC近畿会

第3回:“生産性パラドックス”を巡る論争

 第2回では、IT投資評価に関する研究の発展をたどりました。今回は、IT投資評価がなぜ問題になったか、その出発点を探ります。
 ノーベル経済学賞受賞者のR.ソローは、1987年、ニューヨークタイムズ紙の記事で「コンピュータの時代は至る所に見えるが、生産性統計には表れていない。」と述べ、IT投資と生産性向上に関する問題提起を行いました。コンピュータへの投資拡大は"バラ色の未来"を約束するとの見方が蔓延している時代背景を踏まえて、ソローの提起はさまざまな論争を生み出しました。これが、のちに"生産性パラドックス"を巡る論争と言われるものです。

 

 1.経済学者の反応

 ソローの見解は、その後、米国政府にも波及しています。例えば、連邦準備制度理事会議長のグリーンスパンは1997年の報告で、1990年代でのハイテク投資の拡大による労働生産性向上の可能性を論じつつも、マクロ経済指標にはその効果は現れていないと指摘しています。
 「生産性パラドックス」の指摘は、ITの急速な進歩を受けて広く信じられていた未来社会像に修正を加えるものとして、多くの経済学者の論争を呼び起こしました。「ソローの言うパラドックスは本当に存在しているのか」「存在しているとすれば、その原因は何か」「そもそもITは生産性向上にどのように有効なのか」などの論点に対して、活発な議論が展開されました。代表的な見解をいくつか紹介します。
 1つめの見解は、IT投資を行った時点とその効果が現れる時点までにはタイムラグがあるとする見解です。ITの潜在能力を発揮させるには、ITを導入するだけでは不十分で、ITを補完する関連技術や制度を導入し定着させることが必要で、おおむね2年から5年を要するとの主張です。2つめの見解は、IT投資に際し企業が合理的な意思決定を行っていないとする、経営ミス説です。その他、統計上の不備を原因とする主張などもあります。

 

2.個別企業の生産性を巡る論争

 筆者がこの中で注目したいのは、個別企業の生産性にIT投資がどのように反映しているかの論争です。ゼロックス社のCIO(情報担当役員)、米国防総省情報システム担当最高責任者を歴任したP.ストラスマンは、詳細な企業データの分析を通じて企業のIT投資額の大きさと企業業績には何の相関関係もないことを実証しました。「企業の利益率と情報化投資の間に相関がないという結論は、一般に宣伝、広告されている内容とは主張が異なる。」と結論づけています。さらに、IT投資の効果は直接的に現れるものでないため、IT投資効果の指標として間接業務の効率化の度合いを示す「マネジメント利益率」を主張しました。
 一方、MITの研究者であるE.ブリニョルフソンは、同様の企業データ分析を通じて「IT投資と業務の分権化を組み合わせた企業は、IT投資も分権化もしない企業に比べ、5%以上生産性が高い。ところが、新たな業務の仕組みを導入しないでIT投資を行った場合は、生産性は悪化する。」と結論づけました。IT投資は、組織改革などマネジメント改革を伴った場合にのみ生産性向上に役立つと主張したのです。また、最近の論文では、ハードウエアへの投資「1」に対して、目に見えない資産(インタンジブル・アセット: intangible assets)への投資が「9」必要であるとし、業績のいい企業はこのインタンジブルへ効果的に投資を行っていると主張しています。このような高生産性を実現している組織を「デジタル組織」とよび、その特性を示しています。
 両者は、企業への実証研究を踏まえて、IT投資と企業業績について正反対の結論を引き出しています。結論において対立していますが、両者の研究はきわめて示唆に富んでいます。是非、原著を読まれることをおすすめします。(文末に参考文献あり)
 両者の結論は、真っ向から対立しているかに見えますが、詳細にその主張を比較すると共通点が見えてきます。第1の共通点は、IT投資効果は直接的に現れるものではないという点です。ITは、特定の業務や組織の活動を支援することによって効果を生むものであり、支援する業務や組織によって効果が規定されるということです。第2の共通点は、組織や人的資源との関係で効果を発揮するという点です。ストラスマンのマネジメント利益率によるIT投資効果を測定するという主張や、ブリニョルフソンによる「デジタル組織」という組織変革の提言などは、IT投資効果を決定づけるのはIT以外の経営資源のあり方であるという点で共通した主張といえます。

 

3."生産性パラドックス"の次にくるもの

  生産性パラドックスを巡る論争は、IT投資がどのようにして効果を生み出すかについて、重要な示唆をもたらしました。それは、後に本シリーズのテーマでもある「IT投資マネジメント」という考えにつながっていきます。今日において、生産性パラドックスを巡る論争は、ITを競争力強化につなげるためには、マネジメントの変革と一体でIT投資を行うべきである、との内容で合意を得つつあります。
 次に問題となるのは、「ITを競争力強化につなぐ"マネジメント変革"とは何か!?」という点です。次回からは、この点に言及していきます。
 蛇足ですが、米国における生産性パラドックスを巡る論争は、1990年代後半からのいわゆるニューエコノミー論の登場とあわせて、「パラドックスは解消した」と主張されるようになりました。火付け役であるR.ソローも2000年に書いた論文の中でパラドックスは解消したと述べています。

<参考文献>
・P.A.ストラスマン「コンピュータの経営価値」日経BP出版センター
・E.ブリニョルフソン「インタンジブル・アセット」ダイヤモンド社
・実積寿也「IT投資メカニズムの経済分析」九州大学出版

 

 

 

 

執筆者紹介
藤原正樹(ふじわらまさき)
 博士(経営情報学)、中小企業診断士、ITコーディネータ
 摂南大学経営情報学部非常勤講師
 経営情報学会・戦略的IT投資マネジメント研究部会・事務局